日々雑感みぞぐち幸治のひとり言
どうしても発言しなければならない時がある
2008年9月5日 (金) 21:56
午後9時50分。自宅でパソコンを立ち上げる。
今日は「川辺川ダムに関する県議会議員の意見を聴く会」が開かれた。
自民党、県民クラブ、公明党、改革クラブの代表がそれぞれ意見を述べられた。
当初の予定では私の発言の機会はなかった。
しかし、それぞれの代表の方々の意見を聴きながら、人吉市長の発言の影響の大きさを感じた時、「どうしても私は発言しておかなければならない」という気持ちが急に湧き上がり、最後に手を上げた。
「人吉市民の代表として県政に席を置きます溝口です。
本日は、意見の違いはあるものの、それぞれの議員の方々が、私が住む球磨川流域の問題について熱心にご議論頂いておりますことに心から感謝申し上げます。
それぞれ、意見を述べられましたが、人吉市長の発言を論拠として反対の意見を述べられた方々もいらっしゃいますので、私から人吉市長発言についてお話をさせていただきます。
まず、人吉市長の発言には流域住民の生命、身体、財産を守るという視点が抜け落ちている、と言わざる得ません。
市長の市政方針演説を何度読み返してみても、その後の記者会見の要旨を拝見しても、ダム以外の方法で生命、身体、財産を守るということが明確に示されておりません。
全体の中で言われていることは「民意によって治水対策の方法は決まる」ということであります。流域住民の生命、身体、財産を守ることを民意で決めるということは、行政の長として、あるいは政治に携わるものとして無責任なことであることは皆様もご承知の通りであります。
最大の受益地の市長ですから、ダムに変わる具体的な治水方法を示されてダムに反対を唱えられたのであれば、それはとても重みのあるものになると思われますが、残念ながら市長自身の中には明確な回答がないようです。
そのようなことからも、「まだまだ迷いがある」「もっと情報がほしい」といった状況ではないかと感じております。そのことは、9日から始まる人吉市議会での一般質問の中で議論がなされるものと思いますので、知事にも是非、参考にしていただきたいと思います。
我々はいつもダム推進派だと言われてきましたが、私達はダムを作ることが目的ではなく、流域住民の生命、身体、財産を守るため、もっとも安全度の高い方法は何か、科学的、合理的な根拠を持つものは何かという観点からこの問題に取組んで来ました。
マスコミには選挙の度に、選挙前は「ダムが争点だ」と煽られ、私が勝つと「ダムは争点ではなかった」と不思議な環境で選挙を戦って来ました。
ダム以外に方法があるのであれば、それでも構わないのでありますが、ダム以外には見つからないのです。だから我々はダムを容認してきた訳で、ただただ、ダムを作れ作れと言ってきたのではありません。そのことも是非、ご理解をいただきたいと思います。
知事におかれましては、ダム建設予定地、そして最大の受益地の市長と村長が明確な治水方法を示さないまま、ある意味、無責任な状態の中で、この問題に答えを出さなければならない状態になったことを、流域住民の代表の県議として誠に申し訳い気持ちでいっぱいです。
この問題は、自分の村や市のことだけ考えて判断する問題ではありません。
球磨川流域全体のことを考えて判断しなければならない問題です。流域全体の住民の生命財産をいかに守るか、まさに流域に住む県民の生命、財産をいかに守るのという観点から考えなければなりません。是非、知事にはそのような観点から判断して頂きますようにお願い申し上げまして、私の意見とさせて頂きます。」
完璧ではないが、だいたいこんな話をした。
(明日の新聞にもしも採用されることがあっても都合いい部分だけ切り取られる可能性があるので、思い出すままに書いておく。)
私も好き好んで同じ地域に住む人吉市長の発言に対して見解を述べたわけではない。
流れの中でどうしても私が発言しておかなければならないと感じたからだ。
何故ならば、確かに「最大の受益地である人吉市長の発言は重い」という一般論は理解する。
しかし、市政方針演説を読めば読むほど、また記者会見等での様子を聞いても、それぞれの立場の方で受け止め方が様々である。
つまり、内容は「決して重いものではない」と私は判断している。
そのことを人吉市長の発言を論拠として反対を唱えた方々にも頭の片隅に置いておいてほしいと思ったからだ。
とにかく、あとは11日を待つだけだ。
我々も苦しい、辛い日々を過ごしていると思っていたが、蒲島知事が真剣にそれぞれの議員の意見を聴く姿や表情を見て、我々の苦しさや辛さを超越した、もっと凄い重圧と知事が戦っていることを私は感じた。
ちょっと長くなったが、いや、随分長くなったが、これが、本日の感想だ。