日々雑感みぞぐち幸治のひとり言

西本願寺唐門を見たかった理由

2010年1月24日 (日) 20:09

京都から国宝4

午後8時13分。
京都・東京と続いた出張から帰りパソコンを開いた。

京都からで書いた西本願寺の唐門を見たかった理由を書いておこう。

平成20年6月9日に国宝に指定された青井阿蘇神社のことを作家司馬遼太郎は、

「街道を行く・3」の中でこのように書いている。

人吉の町でおどろいたのは、青井神社の桃山風の楼門だった。 

球磨川の北岸の道路を歩いていると、川にのぞんで石段があり、

登ってゆくと豪宕(ごうとう)な楼門が立ちはだかっていた。

寺だろうかと錯覚したが、しかし青井神社とあり、そういう目で地勢をながめてみると、

上古、この里に棲んでいたひとびとの聖地であったようにも思える。

かつてはどういう結構の聖地であったかわからないが、

この神社に壮麗な殿舎をあたえたのは豊臣期の相良氏である。

この楼門を仰いで感動させられるのは、豊臣期という統一時代には

あるいは僻地というものが存在しなかったのではいかということである。

「青井大明神」という額を高くかかげたこの楼門は、

京都あたりに残っている桃山風の建造物(西本願寺の唐門など)よりも

桃山ぶりのエッセンスを感じさせる華やぎと豪宕さももっているのである。

「青井阿蘇神社を国宝に」という運動を始めた時から

京都あたりの国宝は随分と視察に行ったが、西本願寺の唐門だけは見る機会がなかった。

これでようやくホッとした感じだ。

「京都あたりに残っている桃山風の建造物よりも桃山ぶりのエッセンスを感じさせる」

こんな田舎なのに時代の最先端の技術を駆使して造られた青井神社。

まだまだ新たな夢とロマンが球磨人吉地方には隠されているはずだ。

これからも夢とロマンを追い続けよう。